宮内庁建造物の視察

先日、機会を得て、
整備工事中の正倉院正倉現場見学をしてまいりました。
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正倉院正倉は東大寺の正倉として奈良時代に創建され、
聖武天皇ゆかりの遺品を中心に宝物が献納されていました。

現在までに大きな修復を何度か繰り返しているものの、
前回の、大正2年の解体修理から約100年を経過して、
傷みが徐々に進行していることから、
今回の整備工事の運びとなったようです。

ちなみに、中の宝物は、1960年までにはすべて、
空調設備のある新しい宝物庫に移転したとのことです。

今回の工事の内容は、瓦屋根の葺き替えや、構造の補強など。

現場は工事の完了を11月に控えているものの、
鉄骨の素屋根が建物全体を覆っていて、
作業デッキからの見学となります。

万一、スケルトンの階段を歩いてもいいように、
当日のスタイリングはトラウザスタイルにしました。
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ただし、センタープレスの利いた黒のウールパンツを選びます。

宮内庁行事でもあるので、
ダウンジャケットの中にはウールのジャケットを着用します。
アクセサリーは、ベージュのシャツの開衿に沿う長さで、
オフホワイトの一連のパールだけ。

さて、建物の模様を、ご紹介します。
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今回、公開されているのは、
正倉院正倉の床下部分から、北倉と中倉の部分、そして瓦屋根の部分です。

床下には、直径約60センチの丸柱が
自然石の礎石の上に据え付けられていて、
本屋を支えています。
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自然の形を活かしていて、相当ずれて設置されているようにも見えますが、
長年、倉が持久してきたことを思うと、計算された設計なのだと納得です。

床下の柱に鉄の帯を巻き、台輪の鼻先へ銅板を被せたのは、
1693年(元禄6年)の修復時のこと。
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倉は三倉に内部が仕切られており、
北(正面に向かって右)から順に北倉、中倉、南倉と呼ばれています。
今回、見学したのは中倉と北倉の部分です。

南倉の扉には、錠が施されていました。
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中倉は、北倉の南壁と南倉の北壁をそのまま利用して南北の壁とし、
東西両面に厚い板をはめて壁とした板倉(いたくら)造り。
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温湿度を一定に保つことのできる、日本の伝統的な工法です。
中倉には、東大寺に関わる品々を納められていて、
平安時代の中頃から、開扉に勅許(天皇の許可)が必要となったため、
勅封倉(ちょくふうそう)と呼ばれました。

二階部分には、比較的新しい木材で組んだガラス扉付の陳列棚が見えます。
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これは、明治時代に、伊藤博文の建議によって設けられたそうです。
これも正倉院の歴史の一部だとして、保存しているとの職員さんのお話でした。

天井部分には、耐震対策として、鉄骨の補強が入れられています。
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さて、次は北倉です。
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北倉には、聖武天皇の皇后の、
光明皇后奉献の品が収められていたので、
最も古くから勅封倉として管理されていました。
貴重な薬剤だった漢方薬なども、
当初は北倉に保管されていましたが、
開扉に勅許がたびたび必要である煩雑さを避けるため、
医薬品はやがて中倉に保管されるようになったそうです。

正倉の外観を担う、美しい木組みの校倉造りは、
木材がとても丁寧に組み上げられており、
当時の職人さんの、時代を経ても朽ちずに残る、
いい仕事ぶりを見せてもらえたように思います。
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建造当時の屋根瓦が残っている箇所を
確認することができました。
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756年ごろの創建ということですから、
瓦には1200年以上の時を耐える力がある、ということに
驚きを新たにします。

鬼瓦は唐文化の影響から導入されたもので、
もともとは、パルミラの入口の上にメドゥーサをを厄除けに
設置した文化がシルクロード経由で
中国に伝来してきたといわれてます。
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鬼瓦の上に、避雷針が見えます。
これは、明治時代の修理で設置されたそうです。

古都のゆかしく妙なる色彩と造形美を
有り難く楽しむことのできた見学会でした。

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