「一億総“貴族”社会」の青写真に思うこと

今年の3月、Googleの人工知能が韓国のプロ棋士に4勝1敗した
「Alpha Goショック」事件がメディアを賑わせたのは、
記憶に新しいことと思います。

もしも、このまま人工知能が限りなく人間の知的能力に近づき、
超えてしまう日が来たら、人間の大半の仕事が
人工知能(AI)に代替されてしまうかもしれない・・・
という懸念が、現実のものに感じられたできごとでした。

人工知能が深層学習(1)と強化学習(2)を融合し、
自然言語(3)に対応できるようになれば、
その日は近々、訪れるといわれています。

(1)深層学習とは、人間が自然に行っている学習能力と同様の機能をコンピュータで実現しようとする技術・手法
(2)強化学習とは、試行錯誤を通じて環境に適応する学習制御の枠組み
(3)自然言語とは、人間が生活のなかで普通に使っている言語

そんな懸念に立ち向かうべく、先日の日経テクノロジーオンラインに
『一億総”貴族”社会』はいつ来るか」というコラムが掲載されていました。

コラムには、

人工知能により失業を余儀なくされた人々に対して、
「再就職してもなくならない、長期失業保険」として
優先的にロボットを与えよう。

そうすれば、「人工知能(AI)」と
「すべての人に対する一定の収入保障(BI)」の普及が
早期に進むのではないか。

という、斬新なアイデアが披露されていました。

社会の仕組みを変えて、全ての人に一定の収入を保障する
Basic Income(BI)の仕組みを導入し、なおかつ、
その財源に人工知能の廉価な“人件費”を充当すれば、
確かに、国の財政負担も軽減されることでしょう。

また、AIが人間に代わって働くから、
生産性が向上し、労働力も確保されます。
一方、労働から解放された人間は、
コラムに書かれているように、
真の創造力を発揮できるようになって、
ゆたかな文化を花開かせるのかも知れません。

社会全体としては、人間の覇権が脅かされるという課題が
無事に解決されそうです。
しかし、人間は果たして、お金に困らないからといって、
働かずに生きていけるものなのでしょうか。

ここで、日本古来の勤労観に立ち返りたいと思います。

日本では、働くことは「神事」でした。
今も、天皇陛下が自ら、お田植えや稲刈りをされ、
皇后陛下が自ら、養蚕と機織りをされています。

日本人にとって仕事とは、
恵みを与えてくれる大いなる存在に仕え、
実際の行動によって、感謝と喜びを表現するものでした。

このような日本古来の勤労観に対して、
欧米には「働くことは苦役である」 という思想があります。

旧約聖書にあるように、
原罪を負った人間に課せられたのが
労働であり、出産でした。

労働を懲罰とみる立場からすれば、
AIが人間の仕事を代替してくれるのは
まさに救いの手であり、夢のような話です。

しかし、日本人の多くにとって、
もしも自分の仕事が機械にとってかわられるなら、
これまで仕事を通じて感じていた
社会との関わりや自己実現、社会貢献という
幸福感を失うのではないかと思うのです。

日本は、その誠実さと勤勉さで世界に貢献し、
多くの国々から高い信頼を得ることができました。

今、日本国のパスポートで、173カ国に、
ビザ無しで訪れることができると聞きます。
日本人の信頼の高さは、私たちのご先祖様が
信念と努力の末に築きあげたものです。

より進んだテクノロジーを追求したり、
経済課題を解消したりすることも、大事な取り組みです。

しかし、人が働くこと、生きることの意味を
深く味わうことができるよう、今、
人工知能と人間との関わりを定義し、発信することが、
日本人にとって、人工知能の開発そのもの以上に
急がれるのではないでしょうか。

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