前回は、三人の石工の話を書きました。
作業としては同じことをしているのに、
仕事のとらえ方がそれぞれ、全く異なります。
二人目の石工は、自らの技を
地域ナンバーワンとして認めてもらうために
働いていました。
それを、ドラッカーは「厄介」と言いました。
何故、腕に磨きをかけて周囲に認められるのが
働く動機だと、厄介なのでしょうか。
ドラッカーは言います。
個々の技術力が高いことは大事なことだ。
だが、経営全体の必要性と結びついたものでなくてはならない。
技術力や専門的知識を持つマネージャーは、
高度に専門的な取り組みや最先端のアプローチを
熱心に導入しようとしますが、
手段だったはずのそれらのアプローチが
目的になってしまうもの、と氏は言います。
そして、その努力が、
経営のゴールとはかけ離れたものになってしまうというのです。
同時に、職能を偏重するマネージャーは、
部下を職能で評価し、
報酬や昇進を与えます。
結果、組織は自分のスキル向上や、
自分の業務領域の拡大にしか
関心を持たない社員を増やしてしまい、
組織が求心力を失ってしまうというのです。
自分の技を磨くことで存在感を示したい人は、
どこまでいっても、マネージャーの資質を獲得できない、
ということのようです。
これは、経営者についての話ですが、同時に、
技術者、士業などの専門家にもあてはまるように思います。
自分の開発した高度な技術が、
どんな使途に供されるのか。
アインシュタインは、ウランを利用した新型爆弾を
ルーズヴェルト大統領に手紙で進言し、のちに
日本に原子爆弾が投下されたことを後悔しました。
ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライトは、晩年になって
動力飛行機を発明したことを後悔している・・・と、
ヘンリー・フォードに告げました。
自身の持つ知識や技術が、
世の中の人々を幸せに導くのか考え続けることが、
技術者、専門家にとっての
ノブリス・オブリージュではないかと
私は思うのです。
喩えとしては少し異なりますが、ドイツの参謀将校、
クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトは、
自分の配下の副将にこう言ったと伝えられています。
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将校には四つのタイプがある。
利口、愚鈍、勤勉、怠慢である。
多くの将校はそのうち二つを併せ持つ。
一つは利口で勤勉なタイプで、
これは参謀将校にするべきだ。
次は愚鈍で怠慢なタイプで、
これは軍人の9割にあてはまり、
ルーチンワークに向いている。
利口で怠慢なタイプは
高級指揮官に向いている。
なぜなら、確信と決断の際の図太さを
持ち合わせているからだ。
もっとも避けるべきは
愚かで勤勉なタイプで、
このような者には、
いかなる責任ある立場も与えてはならない。
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何のための仕事なのか。
何のための技術なのか。
何のための開発なのか。
その答え次第で、
人類を幸せにしていくのか、
それとも人類を混乱の淵に落とすのか、
決まることになるのです。