4月7日の記事「ユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン①」の続きです。
メイス氏が1985年に提唱したユニバーサルデザイン(UD)には、
次の7つの原則があります。
1. Equitable use
[誰にでも公平に利用できる]
2. Flexibility in use
[使う上で柔軟性に富む]
3. Simple and intuitive
[簡単で直感的に利用できる]
4. Perceptible information
[必要な情報が簡単に理解できる]
5. Tolerance for error
[単純なミスが危険につながらない]
6. Low physical effort
[身体的な負担が少ない]
7. Size and space for approach and use
[接近して使える寸法や空間になっている]
これらの原則をふまえれば、
どのような人にとっても使いやすいデザインを
作ることができるようになりました。
UDの考え方が世に出て30年を経た今、
UD対応のモノは人々の暮らしに定着し、
世の中は随分と便利になりました。
それでも、UDが普及した結果、人々の間に、
「すべての人が心地よく過ごせるように」
という思いやりの気持ちが育ったのかといえば、
残念ながらノーと言わざるを得ないのが、
現在の世界です。
使い手は当たり前の権利、当然の権利として
UDを「消費」しています。
それは誰も、とがめることができません。
しかし、より便利な暮らしが過大に解釈されて、
自分が過ごしやすければそれで良い・・・
という空気を招いている気がしてならないのです。
混み合った場所で、
すれ違う人などいないかのように
手元のスマホにくぎづけになって歩く人たち。
道路や公衆トイレの床などに
ごみや汚れを落としたまま、
立ち去っていく人たち。
一時停止するべき停止線を越えて、
歩行者が渡りかけている信号のない小さな横断歩道に
アクセルを踏み込んでくるドライバーたち。
・・・
そんな悲しい光景を、毎日いやというほど
見かけます。
昔は地域や親族の目を気にして
恥をかかないように…と行動を律していた日本人が、
今、目の前の他人を大切にできなくなっています。
デザインは、ただ人を便利に快適にするだけでは
いけなかったのです。