今日の装いは、マスタード・カラーのサファリワンピース。
イヴ・サン=ローランがまだ、リヴ・ゴーシュのブティックで
活躍していた頃の作品です。
(Yves Saint Laurent, 1936 – 2008)
このワンピースを手に入れてから、
およそ20年が経つというのに、
いまなお色あせずに通用するデザインに圧倒されます。
イヴ・サン=ローランがサファリ・ルックという
モードを生み出したのは、1968年のこと。
こちらは、モデルのVeruschkaがまとう、
サン=ローランの最初のサファリジャケット
(撮影 Franco Rubartelli)。
今から45年前の写真とは思えないほど、
ダイナミックで、ドラマチックで、セクシーです。
このデザインを発表した頃、アフリカでは、
西洋列強による植民地支配からの独立を目指し、
各地で盛んに解放運動が展開されていました。
ですから、サファリ・ルックは当時、
アフリカ解放戦線の軍服を連想させる、
異端なものだったのです。
物議を醸し出すデザインをあえて採用して、
「解放と自由」という、時代のうねりをメッセージにし、
女性がワードローブを大改革する自由を提案した
当時32歳だったサン=ローランのウィットと勇気に、
改めて驚かされます。
実は、サン=ローランは1960年に、
アルジェリア独立戦争のためフランス軍から徴兵され、
兵役を務めていたことがあります。
戦地の光景と、不衛生で粗野な兵舎暮らしは、
繊細なサン=ローランの精神を害し、やがて、
神経衰弱のために「十九世紀のお化け屋敷のような」
精神病院に収容されることに。
サン=ローランが収容された
ヴァル・ド・グラース病院(Val-de-Grâce)
そこでサン=ローランは鎮静剤投与と電気ショック療法を受け、
退院直後には、体重は38キログラムにまで減り、
まるで抜け殻のようになっていたと伝えられています。
そのさなか、追い打ちをかけるかのような、
チーフ・デザイナーを勤めていた
クリスチャン・ディオール社からの解雇宣告。
ビジネス・パートナーであり、恋人でもあった
ピエール・ベルジェの献身的な看護と
経済的な支援があって復活できたとはいえ、
自身の辛い体験をファッションに昇華させて、
多くの人々に自由をまとう喜びを提供したことを考えると、
サン=ローランという人は、何としなやかで
強い心を持つ人だったのだろう、と偲ばれます。