仕事の意味とは?

小説「下町ロケット」の中で、最も心を動かされたシーンは、
心臓弁の開発を任された若手社員が性能向上に煮詰まり、
自分たちの仕事が何なのかを確かめるために、
共同開発先の医科大学を訪ねたときの風景です。

小児病棟には、重い心臓病を抱える幼い子どもたちが
医療の救いを待っています。
そこで心臓弁の移植手術の現場に立ち会ったふたりは、
緊張感というものではない命の尊厳を目の当たりにし、
自分たちの仕事が何なのか、誰のために努力しているのか、
気づいたのでした。

そこからのふたりは、困難をものともせず、
驚異的な集中力で、
心臓弁の開発を成し遂げていったのです。

ピーター・F・ドラッカーは、著書
「現代の経営(Practice of Management)」の中で、
3人の石切工の逸話を紹介しています。

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作業中の石工3人に、「何をしているのですか」と訊ねたところ、
一人目の石工は、「生計を立てているんだ」と答えました。
二人目の石工は、「この地域で一番、いい石工の仕事をしているんだ」と答えました。
三人目の石工は、夢に目を輝かせ、「大教会を建てているんだ」
と答えました。
……………………………………………………………………………

Sagrada-Familia2

心臓弁の開発に意味を見出した
「下町ロケット」の若い技術者たちは、
間違いなく「三人目の石工」になったのです。

ちなみに、ドラッカーはこの逸話について、

  • 真の経営者は三人目の石工だ
  • 一人目の石工は、報酬のために仕方く働いている。
    経営者になることもない
  • 厄介なのは、二人目の石工だ

と言いました。

なぜ、二人目の石工が厄介だと
ドラッカーは言うのでしょうか?

続きは、次回に書きましょう。

特許は諸刃の剣

先週の空き時間、満を持して(?)、
池井戸潤氏の「下町ロケット(1・2)」を
読んでいました。

下町ロケット1 下町ロケット2

 

昨年の秋にテレビドラマが放映され、
これまでは脚光を浴びなかったような、
下町の技術者たちの物語に、
右肩上がりの視聴率の伸びを見せた「下町ロケット」。

どんな人たちがドラマを観ていたのか調べてみると、
中小企業の経営者や社員の方だけでなく、
企業で部長職以上の経営職にいる方々が観ていたのですね。

”部長クラス以上”が一番、ドラマ「下町ロケット」を観ていた
中小企業の経営者に見られていた「下町ロケット」
(野村総研ショートリサーチ)

さて、小説「下町ロケット」は、
とある大田区の町工場が幾多の困難を乗り切って、
ついには宇宙開発と医療機器分野に進出するという
サクセスストーリーです。

主人公である町工場の社長、佃航平が、
欲望や不条理、疑惑などの苦難に悶々としながら、
自らの信じる経営を貫き、社員や取引先とともに、
新たな道を切り拓いていきます。

「下町ロケット」は、企業が持つ知的財産の
脆さと強さを教えてくれる作品でもあります。

特許を取ればビジネスは安泰・・・
という考えが幻だということを、教えてくれます。

小説に、コップをめぐる特許出願の話が
喩え話として書かれています。

「コップ」というアイテムについて特許を出願する際、
説明文に「ガラス製の、底に蓋が付いた円柱形の容器」、
と定義を記載するとしましょう。
コップすると、その特許を取得しても、
立体柱型のコップや、アクリル製のコップなどは
上の特許の権利内容に抵触しないので、
競合に知恵をハックされた上、市場を奪われてしまう・・・
ということにります。

これは極端な事例かもしれません。
しかし、記載する文面の言葉の練り方に隙があると、
せっかく手間暇をかけて取得した特許が、
会社にリスクをもたらすのです。

大企業ならば、複数の特許を出願・登録するという
力技で、この難局を乗り切ることができるでしょう。

しかし、中小・零細企業は、
多数の特許を出願し、抱えておく余裕はありません。
特許侵害訴訟やシェアの争奪によって、
せっかく生み出した利益が、
つかの間に吹き飛んでしまいます。

このようなリスクを避けるために、
試作品が完成してから特許出願の準備にかかるのではなく、
商品開発の最初の段階から十分に検討すること、
そして、どこまでを特許で守る範囲にするのか、
十分に吟味しておくことが大事になってきます。

中小企業には中小企業の
特許の戦い方があるのです。

悲しいことですが、技術力や情熱、
経営者の人徳だけでは、
経営と社員を守れないことがあります。

たとえ中小・零細企業であっても、
厳しい生産競争に耐えうる知財への理解が、
今、求められているのです。

町工場の現実

町工場2

東京で開かれたカンファレンスで知り合ったご縁で、
数年前、とある町工場の社長令嬢に
営業に出向き、お目にかかったことがあります。

まだ20代に見受けられるご容貌ながら、
現在の経営者の跡取りとして役員を任ぜられ
工場の営業や管理を担務されていました。

会社にはおよそ60人の社員がいて、
職場では、腕を誇る技術者の方々が
きびきびと働いていました。

大企業からの試作品など、
秘密裡に受託製造している案件も多く、
特許を取得できない高度な技術が
たくさんあるとのお話でした。

また、その工場は折しも
航空業界への進出を果たされたところで、
大規模受注の布石を打つべく、
厳しい品質規格に応えるかたわら、
海外へのロビー外交も独自に展開されていました。

町工場の経営は大変だ、と耳にしますが、
本当に大変なのだと肌で感じたのは、
その時が初めてでした。
正直、圧倒されました。

世の中の変化に対応して、わが社を変革し、
存続させていかなくてはならない。
社員とその家族全員が安心して暮らしていけるように、
経営の舵取りをしなくてはならない。

若くして重責を担う役員の真剣な思いが、
お話しの中から伝わってきました。

このような町工場が日本の大きなメーカーを支えていて、
その大手メーカーが今、海外メーカーとの競争に苦しんでいます。

為替レートが円高に振れる中、
輸出を生業にしている中小、零細工場の経営は、
ますます厳しい環境にあると思います。

日本のものづくりを支える幾多の人々が
日々の暮らしへの心配を和らげ、
夢を語りあうことができるよう、
有意の仲間とともに、応援していきます。

宮崎駿監督の三原則

ジブリ作品(魔女の宅急便)

ひすいこたろうさんのコラムの中で、

宮崎駿監督が若手スタッフにいつも言う、

「映画づくりの三原則」

が紹介されています。

それは、

「おもしろいこと」

「作るに値すること」

そして3番目は何かというと……

続きは、こちらをご覧ください。

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3秒でHappy? 名言セラピーby天才コピーライター

名言セラピー【宮崎駿監督の3原則】 | ひすいこたろう
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以前、「『技術』が先か、『市場』が先か」というテーマで書きました。

その中で、ものづくりをする上で大事なことは、

「自分たちらしさ」をとことん突き詰めていくこと・・・と書きました。

こう書くと矛盾するようですが、実は、

「自分(たち)らしさ」などというものは、正直、

最初は存在しないと思っています。

「自分(たち)らしさ」とは、一生懸命、

課題やお客様に向き合っていくうちに、

いつの間にか備わってくるものだからです。

だから、大事なのは

結果(未来)に執着せず、トコトンやること」なのです。

私自身、若い頃には、このことがわかっていませんでした。

「期待」に応えようと評価を気にして、先々のことを気にして、

目の前のこまやかなことに注意を向けることが

できていなかったのです。

だから、成果や幸せをしっかりと味わうことができていませんでした。

プロセスにフォーカスできている現在、私は幸せです。

これからも、結果への執着を手放して、

この瞬間をしっかりと味わう勇気を忘れずにいたいと思います。

現在に生きて、プロセスのすべてを楽しむことができれば、きっと、

商品・サービスの「価値」を通じて、

”本気”はお客様や仕事仲間に伝わると信じています。

「成功の○○」

商品・サービスを検討するとき、私たちは
「価格」と「価値」を心の秤にかけて決めます。

価格については、どんな商品・サービスでも
「お金」という同じものさしを利用します。
ですが、価値は、そう簡単に計ることができません。

様々な買い手の、様々な生き方や価値観で
同じ商品・サービスの価値は変わってきます。

ある人にとっては、レトロフィギュアがお宝です。
また、バンドの追っかけで全国を回るのに
糸目をつけない人もいます。
・・・幸せは、人それぞれです。

もちろん、値段にあまり差がない商品・サービスもあります。

例えば、消耗品。
トイレットペーパーや家庭用洗剤の価格は、
多少の幅はありますが、
およそ似た価格帯におさまっています。

あるいは、健康保険適用の医療サービスや医薬品。
命の安全に係わる商品・サービスに大きな価格差があっては、
人の平等をゆるがします。

その一方で、「この商品に、こんな値段がつくのか・・・」
と驚くものもあります。

例えば、こちら。

成功のみかん箱
みかん箱
ただの木箱です。
なのに、一個の価格が税込、54,000円です。

用途はもちろん、みかんを仕舞うためではありません。

この商品には、「ストーリー」があります。

日本の成長を牽引してきた綺羅星のような経営者たちは、
創業期、みかんやりんごを入れていた木箱の上に立って、
社員や出資者に熱く演説をしたのです。

だから、このみかん箱を手に入れることによって、
あなたにも同じように、多くの人の心を動かす情熱が
宿るかも知れない。

そういわれた時、
「自分の可能性が広がるための54,000円」なら、
何とかなると思いませんか?

あるいは、自分が応援する大事な人の
可能性がさらに広がる54,000円なら、
何とかできると思いませんか?

常識で考えると、ほとんどの人はみかん箱を買うのに
54,000円も払わないことでしょう。

しかし、価値が正しく伝われば、常識をも覆すことができるのです。

世のなかの貨幣の量が決まっているからと言って、
限られたパイを奪い合うゼロサムゲームになるとは限りません。

富は、無限に生み出すことができるのです。

ユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン④

これまで触れてきたユニバーサルデザインとは、
あらゆる人々にとって利用しやすいデザインを
設計、開発して提供する試みでした。

ここに、新たな潮流が加わります。

ロンドンの英国王立芸術学院(Royal College of Art)が
中心となって研究し、世界に発信していった
「インクルーシブデザイン」です。

それは、これまで市場が
「大勢の中に属さない(Exclusive)」
と切り分けていた人々を開発に巻き込んで、
一緒にデザインをつくりあげていこうという
取り組みでした。

これまでマス・マーケットが相手にしていた人たちは、
体格や心身の能力などが標準や平均とされた人たちでした。

だから、次のような人々は別格として扱われ、
限られた市場の中でくくられていました。

  •  身体的な排除: 身体的な障害を持つ人々
  •  感覚的な排除: 視角や聴覚を失った人々
  •  知覚的な排除: 認知症などにより学習能力が失われてしまった人々
  •  デジタル化による排除: デジタルリテラシーを有さない人々
  • 感情的な排除: 家族や地域のつながりの希薄化による、
    孤独や孤立化した人々
  •  経済的な排除: 貧困の状態にある人々

その他にも、言語的な排除など、
数え上げれば無数に例を見つけることができます。

これらの人々をデザイン・パートナーとして
開発チームに招き入れ、設計・開発の早い段階から
参画してもらうことで、これまでなら思いもよらなかったような
視点を得て、デザインのアイデアを発掘します。

「インクルーシブデザイン」には、ユニバーサルデザインのように
決まった法則がありません。
大切にしているのは、デザイン・パートナーとの
対話や観察から得られる「気づき」です。

そして、これまでマス市場が除外してきたユーザーを含む
すべての人々にとって、求めやすく使いやすい、
そして美しいデザインを導いていきます。

それと同時に、どんな境遇にある人も包み込んで、
それぞれの人がこの社会参画して存在意義を放ち、
生きる喜びを見つける手助けにもつながるのです。

インクルーシブデザインは発展途上のアプローチですが、
商品・サービスに新しい価値を付け加え、
新しい未来を拓く可能性を私たちにもたらしてくれています。

熊本県、大分県の大地震

このたびの熊本県、大分県で発生した大地震で
被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
皆さまのご無事を、お祈りしています。

14日の夜から4日を経てもなお大きな揺れが続き、
多くの方が不安な中にいらっしゃることと思います。

一刻も早く、平穏が戻ることを心から願っています。

また、このたびの地震では、九州北部に多数位置する
電機・自動車メーカーをはじめとするものづくりの生産現場を担う方々も、困難に立ち向かっていることと思います。

皆さまのご安全と、一日も早い復旧を心からお祈りしています。

ユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン③

すべての人にとって使いやすく便利なユニバーサルデザイン(UD)。
暮らしの負担を取り除き、よりストレスの少ない体験を
提供してくれました。

しかし、UDの背景になっている
「すべての人に使いやすく便利なようにしてあげたい」
という思いやりの気持ちは、なかなか伝播してはいきません。

作り手と使い手が「より便利なもの、より使いやすいものを・・・」
と追求していくスパイラルは、意識をしない限り、
とどまるところを知りません。
より便利で使いやすいモノに囲まれた暮らしに慣れて、ついつい、
「このぐらいの便利さは当たり前」という気持ちになってしまいます。

それでも、消費者が自らの「行動」を変えるきっかけを与えた、
あるデザインの取り組みがあります。

1980年代、ニューヨーク。

年に2,000件の殺人、60万件を超える重犯罪が起こっていました。

旅行者は、ニューヨークの地下鉄に絶対に乗ってはいけない、と
言われていました。

無法地帯となっていたこの大都会を、
みんなが安心して過ごせる街にしようと
ニューヨークが街を挙げて取り組んだことは、

①鉄道車両の徹底的なおそうじ

数十億ドルの予算を費やして、
車両およそ6,000台の内装や外装に書かれた
落書きを丹念に消していきました

②新型鉄道車両の導入

明るい車内、汚れが目立ちにくい床、そして
落書きを落としやすい内装に変更しました
(ちなみに、車両デザインは工業デザイナー宇多川信学氏が担当)。
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③無賃乗車の撲滅

無賃乗車をする無法者を警官が捕らえ、
市民に見えるように摘発専用バスに連行して逮捕していきました。

だったのです。

これらは一見、効果の薄い遠回りな施策に思えますが、結果・・・

1990年代の終わりには、ニューヨークの地下鉄で起こる犯罪は、
75パーセントも減少したそうです。

「大きな犯罪の呼び水」といわれる軽犯罪は、
きれいな環境では決行しにくいという人々の心理を読んで、
ニューヨークの犯罪撲滅作戦は見事に成功したのでした。

清掃も、人の行動を律する「デザイン」のひとつなのです。

そして、美しい環境、美しいデザインに囲まれると、
人はより良い自分であろうとするのです。

デザインは、人の意識や行動、
そして習慣を変えてしまうのです。

友人が教えてくれる「本当に買いたくなるもの」

前職時代からお付き合いをさせて頂いている、
いまは遠く海外に住む友人と、久々に再会が叶いました。

オルズグルさん(オルズさん)です。
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サンクトペテルブルグからの、一時帰国の忙しい日程を縫って、
わざわざ大阪まで会いに来てくださいました。

感動です・・・

とてもまっすぐで、努力家で、温かくて、聡明で、芯の強い人。
会うたびに、前に進む勇気をくれる人です。

オルズさんは、数年間にわたって
渾身の努力で築き上げたある事業を、
諸般の事情からこのたびリセットする、
という重い決断をされた後でした。

私は、彼女が手掛けるビジネスは、
どんなものでも応援したいと思っています。

オルズさんが販売する商品・サービスがあれば、
どんなものでも入手したいと思っています。

なぜなら、彼女の生き方そのものに、
ストーリーがあるからです。
オルズさんのこれまでの人生は、
ハリウッド映画にもなりそうなほど濃密なのです。

だから、彼女が手掛けるどんなビジネスも商品・サービスも、
彼女のストーリーを反映したものになる・・・と思えるのです。

これって、最強のマーケティングだと思いませんか。

人が本当に買いたくなるものとは、
「モノ」の背景にある、心を動かされる「コト」なのです。

ユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン②

4月7日の記事「ユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン①」の続きです。

メイス氏が1985年に提唱したユニバーサルデザイン(UD)には、
次の7つの原則があります。

1. Equitable use
[誰にでも公平に利用できる]

2. Flexibility in use
[使う上で柔軟性に富む]

3. Simple and intuitive
[簡単で直感的に利用できる]

4. Perceptible information
[必要な情報が簡単に理解できる]

5. Tolerance for error
[単純なミスが危険につながらない]

6. Low physical effort
[身体的な負担が少ない]

7. Size and space for approach and use
[接近して使える寸法や空間になっている]

これらの原則をふまえれば、
どのような人にとっても使いやすいデザインを
作ることができるようになりました。

UDの考え方が世に出て30年を経た今、
UD対応のモノは人々の暮らしに定着し、
世の中は随分と便利になりました。

それでも、UDが普及した結果、人々の間に、
「すべての人が心地よく過ごせるように」
という思いやりの気持ちが育ったのかといえば、
残念ながらノーと言わざるを得ないのが、
現在の世界です。

使い手は当たり前の権利、当然の権利として
UDを「消費」しています。
それは誰も、とがめることができません。

しかし、より便利な暮らしが過大に解釈されて、
自分が過ごしやすければそれで良い・・・
という空気を招いている気がしてならないのです。

混み合った場所で、
すれ違う人などいないかのように
手元のスマホにくぎづけになって歩く人たち。

道路や公衆トイレの床などに
ごみや汚れを落としたまま、
立ち去っていく人たち。

一時停止するべき停止線を越えて、
歩行者が渡りかけている信号のない小さな横断歩道に
アクセルを踏み込んでくるドライバーたち。

・・・

そんな悲しい光景を、毎日いやというほど
見かけます。

昔は地域や親族の目を気にして
恥をかかないように…と行動を律していた日本人が、
今、目の前の他人を大切にできなくなっています。

デザインは、ただ人を便利に快適にするだけでは
いけなかったのです。