世の中で成功している経営者の多くは、
「経営・マーケティング」に8割の力をかけて
取り組んでいると聞きます。
ちなみに、マーケティングとはセールスではなく、
「自動的に売れる仕組みをつくること」
です。
先進のマーケティング手法は今、
その多くがアメリカを中心とした海外から輸入されます。
手法は無限にあり、流行りすたりも激しいものですが、
肝要なことはひとつで、永遠に変わることはないでしょう。
それは、
お客様に「これはいい!」と喜ばれる取り組みのすべて、
だと思っています。
さて、マーケティング発祥の地は、
実は日本だったといわれています。
時は1673年、江戸時代初期。
三井財閥の始祖である三井高利(みつい たかとし)は、
52歳を迎えて息子達に指示し、
京都と江戸に、「三井越後屋呉服店」(越後屋)を開きます。
当時の呉服販売のシステムは、次のようなものでした。
・商人が、客先などに出向いて見本や商品を見せて販売をする
・売買の単位は、1反(約10メートル)単位である
・代金は高価なため、盆・暮の2回払い、または12月のみの一括払いにする
呉服の得意先の多くは、大名家。
しかし、財政窮乏に苦しむ大名(藩)もあり、
貸し倒れになることもしばしばでした。
越後屋は、京都の西陣などで良品の反物を選んで現金で安く買い、
人口100万人都市の江戸に送ります。
仕入れた商品は店舗に並べ、
お客様の必要なだけの量を、定価で切り売りし始めました。
さらに、現金売り、掛値なしの販売方法によって、
貸し倒れのリスクを排除したのでした。
また、江戸と京都の間の店舗間決済を為替にして、
現金輸送上のリスクも減らしたといいます。
越後屋は、商品の値引き販売をしませんでした。
それでも、普通の呉服店よりも適価で良品の呉服商品は
江戸の街で人々に喜ばれ、店舗は大いに繁盛したそうです。
結果、1680年あたりから四半世紀の間に、
越後屋の売り上げは倍増し、
今日の三越伊勢丹百貨店のブランド、礎を築きあげました。
ドラッカーは、著書「傍観者の時代」の中でこの逸話をとりあげ、
マーケティングの起源は、17世紀の 日本にあると触れました。
激しい環境変化の中、最新のマーケティング手法や事例が
とかく強調されがちです。
しかし、日本にもこのような顧客志向や、
近江商人が大事にした「三方良し」の価値観など、
長年培ってきた大切な教えがあることを、
日本人として誇りにし、心に留めていたいと思います。