日本酒が教えてくれること

最近、日本酒をたしなむようになりました。
材料がシンプルで、ふだんの和食と合うからです。

日本に酒があったことを伝える最古の記録は、
西暦1世紀に記された中国の思想書『論衡』にあるようです。

また、須佐之男命(すさのおのみこと)が、
八岐大蛇(やまたのおろち)にお酒を飲ませ、
酔わせて退治した古事記の物語もあります。

悠久の昔から続いている日本の酒文化も、魅力のひとつです。

百貨店の売り場や酒蔵、
こだわりの日本酒を仕入れてくれる割烹をめぐって、
少しだけ、でも じっくりと楽しみます。

お酒を口に含んで、味わいや、鼻と喉に抜ける香りに集中していると、
漫画「神の雫」のように、脳裏に景色が浮かぶことがあります。

それは、地域で大切に受け継がれている神社の景色だったり、
静かな土壁の街並みだったり、
山道のほとりを流れる石清水の眺めだったり、
あるいは、春の青空に映える桃の蕾だったり。

材料は米と酵母と水だけ。
でも、確かに、それ以外の「何か」が宿っていると思えてきます。

酵母やコメの品種、つくられた土地と気候、
仕込みの時期や方法、作り手の腕、そして頂く杯や温度・・・などで、
コメのお酒がこんなにもさまざまな味わいになっていくのだ、と
いつも驚きます。

でも、何も浮かばないお酒もあります。
または、ぐだぐだの宴会風景とか(笑)。
それはそれで、味わいがあります。

見える「お酒」を通じて、見えない「息吹」を楽しむことができます。

まだまだ道半ばの新参者ですが、この趣味を気に入っていて、
ライフワークになりそうです。

「飛行機をつくること」と、「人を飛行させること」の違い

今では移動手段として当たり前になった飛行機を
初めて世の中に送り出したのは、ライト兄弟です。

ライト兄弟の成功の裏に、あまり語られることのない
挫折の物語があります。
発明家、サミュエル・ピアポント・ラングレーの物語です。
彼はハーバード大学に在籍し、スミソニアン博物館に
勤務していました。

兵器としての飛行機の可能性に注目していたアメリカ陸軍省は、
5万ドルの予算をラングレーに与え、飛行技術を開発させました。
ラングレーは豊富な人脈を武器に、専門家を各地から招いて、
飛行実験を始めます。

お金も才能も人脈もあるラングレーは、世間の注目を集めました。

一方、ライト兄弟には、お金も教育も、そして人脈もありませんでした。

自転車店を経営して稼いだお金をつぎ込み、
ライト兄弟は飛行機を空に飛ばす夢を追いかけます。
ライト兄弟のチームの誰も、大学を出た人はいませんでした。
航空力学も物理学も知らない彼らは時々、
飛行技術開発の最先端をゆくラングレーに手紙を書いて、
相談に乗ってもらっていたのだそうです。

ラングレーが「動力飛行機を開発すること」にこだわる一方で、
ライト兄弟は既存の技術を組み合わせて操縦訓練と開発を重ね、
「人が空を飛ぶこと」にこだわりました。

ライト兄弟は強風が吹く場所を練習場所に選び、
逆風の中、当時すでにあったグラインダーで操作技術を磨きながら、
動力飛行機を滑走させ、ついに飛行に成功したのです。
1903年12月17日のことでした。
Wrightflyer

この日、ラングレーは飛行技術開発プロジェクトを中止します。

人類飛行を実現して、世界を変えると信じて取り組んだライト兄弟。
一方、富と権力、名声を求めて功績を残せず、あきらめてしまった
ラングレーのチーム。

お金や才能、人脈は、夢を実現させるのに大切な要素です。
しかし、それらがなくても夢を実現させることはできるのです。
「手段」ではなく「目的」にこだわり抜き、情熱をたやさない限り。

(参考)
TED:「サイモン シネック: 優れたリーダーはどうやって行動を促すか」
https://goo.gl/hMCEZ8

技術者の尊厳を保つには

今、日本の電機業界に勤める技術者の方々の中で
恵まれた仕事環境にある人は以前よりも随分少ないと思います。

短期的に成果を出さなければならず、
自分がやりたい研究開発と違うものに着手しなくてはならない。
新しいテーマを提案してみても、組織が反応しない。
こんな状況が続けば、どんなに意欲が高くても、
気分が沈んでしまいます。

どうしたら、技術者が誇りを持って
ものづくりを続けられるのでしょうか。

仕組みを整えるのは、ひとつの方法かもしれません。

人材を大切にする企業の仕組みをつくる。
優れた技量を持つ技術者を、マイスターとして認める制度をつくる。
社内報などに、日ごろの努力をとりあげてあげる。
一定の裁量や予算を与えて、仕事をしてもらう。

・・・等々。

いずれも、技術者の働く環境を良くしようとする、
素晴らしい取り組みだと思います。

でも、そのような企業側、組織側の努力だけで果たして、
仕事に誇りを持ち続けることができるのでしょうか?

様々な事情で、ひとたび良好な仕事環境を失ってしまえば、
これまでのモチベーションも消えてしまうからです。

転職したり、会社の経営方針が変わったり・・・
変化が多い世の中、永続する仕組みに頼るわけにはいきません。

だから、「尊厳は心の中に持つもの」、と私は考えます。
自分の仕事に誇りを持つことができれば、どんな状況にあっても、
尊厳を失うことはありません。

どんな時も、いきいきと仕事を楽しむ。
いきいきと仕事ができない時は、いきいきするために進化する。
こんな人たちがあふれる組織は、最強です。

「技術」が先か、「市場」が先か

歌をつくるとき、
ふたつのやり方があります。

一つ目は、歌詞からつくる方法。
そして二つ目は、メロディーからつくる方法。

詞から書き始めるアーティストもいれば、
曲が先にやって来るというアーティストもいます。
どんな方法でつくられた歌も、
詞と曲が一体となって、私たちの心を彩ってくれます。

これが、ものづくりの世界だったら、どうでしょうか。

独自の「技術」を磨き上げて世に問うのか、それとも
「市場」の声に忠実なものづくりに徹するのか。

消費者は気まぐれです。
それに時々、消費者は自分の欲しいものがわからないことがあります。
一方、技術を全面的に打ち出したものづくりによって、
面白いものができるかも知れない反面、
渾身の努力で世に送り出したのに、反応が冷たかった・・・
ということもあるでしょう。

技術者は、他を圧倒するような独創性の高い技術を
世に出したいと願っています。
しかし、研究開発資金がいつも用意されているとは限りません。
当座の業績に貢献しないと経営が判断すれば、
予算を充当してもらえないかも知れません。

一方、市場に目を向ければ、
売上を高めることができるかも知れません。
しかし、「独自の価値」を世の中に打ち出せず、
価格競争に巻き込まれて結果的に立ち行かなくなるかも知れません。
そして、長い目で見れば、「消費者のために…」と行ったことが、
自社だけでなく、業界全体の活気を消してしまうかも知れません。

「技術」も「市場」も、大切な目配りの要素です。
でも、本当に大切なのは、ものづくりに対して
自分たちが「どんな思いを込めているか」をしっかりと問い、
伝えていくことではないでしょうか。

「技術」と「市場」のバランスを取るというよりも、
「自分たちらしさ」をとことん突き詰めていく。
それは他の誰にも真似のできないストーリーになって、
人の心をとらえて離さなくなると思うのです。

今年、特に力を入れていること

20余年のサラリーマン勤務を経て独立し、
「装うこと」にたずさわると決めてから
3年がたちました。

人も企業も、前に進む勇気が湧き、
自分や自分たちのとびきりの素晴らしさが伝わるような
表現のあり方を見つけてさしあげたい。
それが今、私を動かす力になっています。

独立してからさまざまな業界の方と
お仕事をさせて頂く中で、
気づいたことがあります。

それは、日本の家電業界が
大変な困難に立ち向かう中、
技術者の方々が環境変化の渦に
巻き込まれているということです。

三洋電機、シャープ、東芝…
家電づくりを通じて人をワクワクさせてくれたり、
安心させてくれたりした企業が
事業を継続できなくなったり、
部門をまるごと海外企業に譲渡したりしていきました。

太陽電池も液晶パネルも、
日本のお家芸とされてきた技術が「広く普及」した結果、
今、新興国メーカーとの価格競争に巻き込まれています。

それだけではありません。

事業撤退によるリストラや経営再建などで、
技術者をはじめとする多くの社員たちが燃え尽き、
次の活路を見失っているのです。

ひとりではなしえない「夢」を実現するため、
開発や生産の現場の一端を担ってきた人たちが、
突然、その「夢」を失ってしまったのです。

ここに社名を記すことはできませんが、
ある大手家電メーカーに勤める人々の平均寿命は
65歳に満たないと聞きます。
これで果たして、人として幸せな末路を辿ったといえるのだろうか?
という考えがよぎります。

人の尊厳をゆるがす変化にふれて
これまで家電業界に携わったこともない私の、
何かのスイッチが入りました。

私は、「技術者の尊厳」のために立ちあがります。
ご縁のある一人ひとりの技術者の方々が、
新しい環境の中でも自分の力を発揮でき、
生きる喜びをかみしめて暮らすことができるような
世の中にしていきます。

私にできることは、限られているかもしれません。
この切符の最終到着地がどこになるのかも、
まだわかりません。
でも、同じ志を抱いて下さる人たちと協力すれば、
必ず叶うと思うのです。

あたらしい、ものづくりの仕組みをつくる。
エンジニアの人たちが、前を向いて生きられるように。

この夢を、実現させます!

意識を持ち続けること

まだまだ風がつよく肌寒いけれど、桜の見ごろを迎える頃になりました。

まだ葉もない灰色めいた枝にたくさんの蕾をつけ、
濃い灰色の幹を淡い紅色にかざっていく様子は、
この季節のすてきな風景です。

桜の花たちは、どんな夜にも、どんな寒い季節にも、
必ず終わりが来るのだと告げてくれているかのようです。

そして、暗く寒い時期に根を張って準備してきたことは
きっと蕾となって花開く・・・と教えてくれているかのようです。

人間にとって、準備することは
「問い」も「答え」も見えない、とても創造的なことです。
将来、人間の仕事のほとんどをコンピュータが担う時代が来ても、
夢を描いて、だれかの幸せを願って、
あきらめずに努力を積み重ねるロボットは登場しないかもしれません。

装うことは、理想の自分になるために準備すること。
服でも化粧でも、言動でも、無意識のままでいるのをやめること。
いつか遠い未来にではなく、今日から、素敵な自分になってもいいのです。
形から入ったとしても、いいのです。
それはやがて、ゆっくりと自分の内奥を変えていくのですから。